新時代の結婚。 2002年
11月26日(火)

ウチの姉が、ようやく結婚することになりました。

“新郎新婦の年齢を足すともうすぐフルムーン”という
すごい結婚ですが、とにかくいいひとが見つかってよかったと
家族一同胸をなで下ろしているところです。

しかしこの秋、これまで大阪で働いていた姉は、
みずから希望して異動し、東京に勤務することになりました。

それに対し、夫になるひとは、京都で開業するコンサルタント。

「どうするのいったい?異動なんかして。」

心配する家族に対して、姉はこう言い放ちました。

「彼の事務所をたたませて、東京に連れて行く。
 コンサルタントはどこででも開業できるから。」

たしかに、専門的な知識を持ち、身体ひとつで開業できる
コンサルタントはある意味、身軽な職業でしょう。
しかし、これまでの顧客を捨てさせ、東京に移り住ませるなんて…。

“やっぱり、とんでもない姉だなぁ。”

姉の“わがまま”に同意した彼の心の広さに感心しながら、
しかし、そう思うこと自体が、従来の男女の役割についての
固定観念に基づいていることに気づきました。

これまでの時代、
常に優先されてきたのは男性のほうの仕事。
男性が異動になれば、女性の仕事が犠牲になっていました。
しかしその“常識”こそが、むしろおかしかったのかもしれません。

これからは夫婦の話し合いのもと、
女性の仕事のほうが優先されることがあっても、
それをおかしいと思わず、普通と感じるようになってこそ、
真の男女雇用機会均等時代が来たと言えるのでしょう。


「帰国」というジレンマ。 2002年
11月9日(土)

「俺には俺の24年間がある。」

北朝鮮による拉致被害者のひとり、蓮池薫さんのこの言葉に
今回の帰国問題の難しさが集約されています。

24年の間、彼らは北朝鮮に生活基盤を築いてきました。
仕事をし、結婚し、子どもを育ててきたのです。
帰国した彼らが口にした「幸せに暮らしていた。」という言葉も
あながち嘘ではないでしょう。

幸せというものは、絶対的なものではなく、
それぞれの心の持ちように依るところが大きいからです。

たしかに、拉致というあまりにも理不尽な現実を前に、
最初の数年間は果てしない絶望と悲しみに暮れたことでしょう。
しかしその後、彼らは彼らなりにそれを消化し、受け入れ、
しっかりと生きてきたはずです。

一方で、いま彼らが永住帰国しても、
彼らのできる仕事はほとんどないのが日本の現実。
まして北朝鮮国民として育ち、日本語をまったく話せない子どもを
無理やり日本に連れてきたとしても、
もう一回不幸が始まることになりはしないでしょうか。

単なる感情論ではなく、
どうしたら本当に彼らのためになるのかという視点に立った
慎重な議論がこれから求められていくのです。


過酷な真実。 2002年
9月17日(火)

 人間、知らないほうがいいことってあるのかもしれない。

 きょうは、そんなことを思い続けていた。

  今回“あの国”は、日本人の拉致の事実を認め、
拉致された人々の安否をすべて公開した。
その結果が、生存5人、死亡8人。

 生存に一縷の望みを抱き、再び会うことを願い続けてきた
家族にとって、あまりに過酷な“真実”だった。

 しかし、“あの国”は今回、日本の求める条件をすべて呑んだ。
むしろ、誰も予想し得なかったほどの情報公開をしてきた。
そして国家元首である金正日総書記が自ら謝罪してしまった以上、
日本政府としてはこれ以上怒ろうにも怒れない、
責任を追及しようにも追及できない状態になってしまった。

  そういう意味では、今回の首脳会談は
金正日総書記の交渉術にしてやられたと言えるのかもしれない。

  しかし、“あの国”にとっても、今回の情報公開は
「わが国はこんな国なんです」と世界に公言するようなもの。
それだけの覚悟を持って今回の交渉に臨んだのだろうし、
そうせざるを得ない緊迫した国内情勢があったのだろうと思う。

  さて、これから日本はどうすべきなんだろうか。

  拉致された人々の家族といっしょに怒り、憎み続けながら、
“あの国”の国家体制が崩壊するのを待つのか。

  それとも“あの国”と交渉を続け、わが国の安全を確保しながら、
“あの国”を国際社会に導き「普通の国」への変革を手伝うのか。

 サイは投げられた。
もう、前に進むしかないような気がする。


“あの国”をどう呼ぶか。 2002年
9月16日(月)

 小泉首相が、金正日(キム・ジョンイル)総書記と会う。

 拉致問題、ミサイル問題、核開発疑惑、そして不審船問題。
あの国との間に横たわる不信の種はあまりにも多いなかで、
ほとんど丸腰の状態で虎の穴に飛び込んでいくような、
不可解で危険な匂いのする日朝首脳会談。

 しかし、とにかく何らかの成果があってほしいと願う。
もし国交正常化への道筋をつけることができれば
日本の安全保障は大きく前進し、国益は増大する。

 だが将来、国交が正常化したとき、
我々の側に大きな“言葉”の問題が生じる。

 あの国をどう呼ぶか---。

 いま、我々はあの国のことを「北朝鮮」と呼ぶ。
ところがこれは国名ではなく地域名。
日本政府はあの国を国家として承認していないため、
“朝鮮半島の北部”という意味でしかあの国を呼んでない。

 では、「朝鮮民主主義人民共和国」と呼べばいいのか。
しかしそれではあまりにも長く、ナンセンス。
だったら「大韓民国」「中華人民共和国」「ベトナム社会主義共和国」
果ては「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」と
呼ばなければならなくなる。

 では、「朝鮮」と呼べばいいではないか。

 単純にそうはいかないのだという。
いま、日本では“朝鮮”という言葉をタブー視する人々がいる。
「朝鮮語」を「ハングル語」、「朝鮮民族」を「韓民族」、
極めつけは「朝鮮料理」を「コリア料理」と呼ぶ輩まで出る始末。
差別語だからというのだ。

 だが、そうだろうか。

 そもそも、言葉というものは、
生まれもって差別的であることはむしろ稀である。
ほとんどの場合、使う人々の差別意識が、
その言葉に差別的な意味を宿らせてしまうのである。
 そういう意味では、日本において“朝鮮”という言葉が
差別的な意味を宿された時代はたしかにあった。
それは反省すべきことではあると思う。

 しかし、戦後57年のいま、
“朝鮮”を差別語だと指摘し、騒ぐ人々の心のほうにもまた、
言葉の差別は永久に固定されてしまうもの、という意識が
ありはしないだろうか。

 朝鮮日報、朝鮮学校、朝鮮総連…。
“朝鮮”という言葉を、誇りを持って使っている人々が実際にいる。
もちろん、あの国自身にとっても「朝鮮」は国家を表現する唯一の
言葉であり、そこに差別語という意識などあるはずがない。

 言葉は、時代とともにその意味を変えていく。

 これから、朝鮮半島との間で新しい時代がはじまるのならば、
“朝鮮”を差別の呪縛から解き放ち、広く使っていくことこそが
むしろ必要なのではないだろうか。

 個人的にはそう思うのだが。


かわいそう。 2002年
9月15日(日)

 小学5年生のときの砥上という担任は、とんでもない暴力教師でした。
とにかく、児童を本気で殴るのです。

 個人的には、教師による少々の体罰は
教育上しかたがないんじゃないかと思っています。
 むしろ、そうじゃないと教師は管理できないし、
無理に管理しようと思えば「学級会でのつるし上げ」といった
陰湿なものに頼らざるを得なくなり、子どもの精神的な発育を
かえって健全なものにしなくなる恐れすら感じます。

 しかし、それにしてもその砥上という教師は度を越していました。

 忘れ物しただけで平手打ち。委員の働きが悪いといっては平手打ち。
5年生の一年間は、ほんとうに暗黒の一年間でした。

 しかし、その砥上のセリフでひとつだけ忘れられないものがあります。

 「かわいそう」という言葉は絶対に使うな---。

 読書感想文や平和問題などの副読本の感想を書くとき、
彼は必ずそう言いました。
 最初は、「何を言ってるんだコイツは。」と思いました。
「かわいそう」という感情はまず最初に湧いてくる自然なもの。
それなしで文章を書けとは単なるイジワルじゃないか。
そう思っていました。

 しかし、徐々にその理由がわかってきました。

 「かわいそう」。

 その言葉を発した瞬間の自分の心の奥底を覗いてみたとき、
そこには 「自分はこういう境遇にならなくてよかった」という、
神への感謝がありました。
 そして同時に、「かわいそうな相手」に対するほのかな優越感が
無意識に生まれてくることを知りました。

 だから「かわいそう」という言葉は使ってはいけない---。

 それを教えてくれたという一点だけにおいて、
いま、砥上という教師に感謝しています。

 「かわいそう。」

 そう、軽々しく口にするひとのほうが、
かわいそうなのかもしれません。