報復は善か。 2001年
9月15日(祝)

 まさかこんなテロの方法があろうとは…。

 東海岸から西海岸への長距離国内線ばかりをハイジャックし、
燃料を満載したまま標的に突っ込むという人類史上空前のテロは
数千人もの一般市民を巻き込み、この世に地獄を出現させた。

 もちろんそれは、許されることではない。

 しかし、だからといって軍事的な報復をすることが「善」なのか。
テロという犯罪行為を犯した疑いのある個人・集団に対して、
他国を侵略してまで軍事的報復を行うことが
はたして「正義」と言えるのだろうか。
少なくとも、近代法治国家のなすべきことではない気がする。

 もしこのままアメリカがアフガニスタンに侵攻すれば
血みどろのゲリラ戦が待っている。
ベトナムに、状況が似ている。

 たとえ勝利したとしても、
イスラム社会の全体に、ぬぐいがたい憎悪を残すことになる。

 そして、テロは終わらない。

 そう思うのは、私だけなのだろうか。


たくさんの『市内料理人』。 2001年
9月8日(土)

 けさ、遅めの朝ごはんを作っていたら携帯が鳴った。
「やれやれ、また仕事の呼び出しか…。」

 しかし、携帯に表示されているのは市内のある料理店の名前。
『???』
出ると、たしかにその料理店の主人だった。

「これまで私たち、インターネットって見たことなかったんですけど、
 初めて見させてもらいました。」

 いきなり、冷や汗がどっと出てきた。

「あ、すいません。なんか、失礼なこと書いてましたでしょうか…。」

 この店は、私のページに載っている。
ほめたことはあっても、けなしたことはないはず。
いや、ひとつだけ平凡だとかなんとか書いたっけ…。
あ、掲示板でそういえば…。

 一瞬、「失礼なこと」というキーワードが
ぐるぐると頭の中を検索し、駆けまわった。

 話は違った。
ヨソのグルメ系ページのことだった。

 この主人の店は、そのグルメ系ページにも載っている。
星3つ。なかなかいい評価、と言えるのであろうか。
とにかく好意的な文章でもあり、悪意を感じることはなかった。

 しかし、主人はその評価に対して怒っているのである。
いや、正確に言えば「店を星の数で評価すること」に対して。

「ちょっと来ただけで、私の店を星の数で一方的に評価するなんて、
 まるで自分の味覚が絶対であるかのような態度が許せません。
 気がついたことがあったら、直接言ってくれればいいのに。
 私だってお客様とはフレンドリーな関係でいたいんですから。
 それをあんな風に一方的に星をつけて全国に言いふらして。
 これに対して、私たちはモノを言う手段がないじゃないですか。
 こんなの、営業妨害、民業圧迫ですよ。」

 『市内料理人』と同じだった。
いや、ここにもまた『市内料理人』がいた、というのが正しいのだろう。
 一方的な評価に対して、やり場のない怒りを私にぶちまけるために、
土曜の朝にわざわざ私の携帯の番号を調べ、かけきたのである。

 20分間、私は恐縮しっぱなしだった。
自分もまた同類と思われているんじゃないか。
実は、ヨソのページのことを非難しているように見せかけて、
暗に、私を非難しているんじゃないか---。
我ながら、疑い深いというのは損な性格だと思う。

 「また、ぜひお越しくださいね。」
その最後の言葉にほっとしながら、電話を切った。

 冷めた焼き茄子をつつきながら考えた。

 ヨソのホームページ主宰者だって、
自分が気に入った店を紹介したいという純粋な気持ちで始めたはず。
しかしそれが原因で、ここまで料理人に嫌われてしまうのなら、
もうこれは喜劇でしかない。

 寂しくないのだろうか、と。














五つ星?










…。(^◇^;)

よくできたウソ。 2001年
9月4日(火)

 世の中には、巧妙なウソというものがたくさん潜んでいる。

 小学生のとき、こんな話を聞いた。
たしか兄か姉からだったと思う。

『一円玉が落ちていたって、拾う価値はないんだよ。
 なぜならば、一円を拾うのに必要なエネルギーを得るためには
 一円以上のモノを食べなきゃいけないんだから。』

 そのときは「ふ〜ん、そうなんだ」と思った。
一円玉を拾うという行為に、本当に一円以上のコストがかかるならば、
その行為は確かにムダである。
だったら、一円玉なんか落ちていても拾う価値はない、というのは
正しい。

 しかし、何かがずっと引っかかっていた。

 実際に一円以上のコストがかかるかどうかではなかった。
それ以前の、なにか根本的なものに対する疑問があった。

 そして、ずっと記憶の片隅で気になっていたこの話のウソに
気づいたのは、中学生のときだった。

 もし、ある日、あなたが一円玉を拾ったとする。
しかし、その一円玉を拾ったからといって、
その行為の分だけ、あなたはお腹をすかせるだろうか?
いや、そんなことは決してないはず。
普段500円の昼食を502円にしたりはしないし、できない。

 ここに巧妙なウソが隠れる余地があった。
つまり、人間が一円玉を拾うという行為のコストを求めることは
まったくのナンセンスだったのだ。


 その後、いろんなことをまず鵜呑みにしないことを心がけ、
さらに世の中のすべてを疑うような職業についてみると、
まだまだこの世の中には、一見正しそうに見えるウソが
いっぱいあることに気づいた。

 どんなウソか。
それはまた、折をみてお話ししましょう。o(^-^o)(o^-^)o


オフ会潜入ルポ。 2001年
8月24日(金)

  ほんとうは、オフ会潜入ルポなんか
書くつもりはなかったんです。

  正直に言うと、まったくなかった訳ではなかったのですが、
ただ単に、ヨソのオフ会というものがどんなものか、
見てみたかっただけなのです。

 そして実際に行ってみて、
潜入ルポなどを書く気は完全にうせてしまっていたんです。

  なぜなら、オフ会の主催者夫婦がごくごく普通のひとだったから。
良くも悪くも。
  別に、このひとたちのほんのささやかな楽しみに、
わざわざ水を差すこともあるまい。
そう、思ったのです。

 …あのメールを読むまでは。

  オフ会の数日後。
一緒に行った方のもとに一通のメールが届きました。
そのひとが出した、オフ会のお礼への返事です。
そのメールには、こんな言葉が書かれていました。

「お連れの方はあまり楽しめなかったのでは」
「(お連れの方は)かたくなな態度が目につきました」
「レストランでの楽しみ方をご存じないのでは」

  …わざわざ自分が主催するオフ会に
「来ていただいた」人について書く言葉がこれですか?


 私はただただおとなしく、人間観察をしながら
オフ会に参加させてもらっていただけなのに。

 少なくとも私だったら、こんなこと陰で言いません。
もし不満なことがあれば、直接伝えますけどね。

  これで決心は固まりました。
このオフ会の様子を、天下に知らしめんと。

 …続きを読みたい方はこちらへ。(‘―‘)/~~~~


いましめ。 2001年
8月7日(火)

 「おいしい店をたくさん知っている人」が、偉いんじゃない。

 偉いのは、「おいしいものを自分で作れる人」。

 電脳の世界には、
それを勘違いしている連中のなんと多いことか。

 そんな人間に見られないよう、
私はこれからも料理人と仲良くしていこう。

 料理人に好かれる人間でいよう。


消えてしまわないうちに。 2001年
8月6日(月)

 「いろいろ飾ってありますけど、こんなもんじゃなかったんです。」

 原爆資料館のなかで、ひとりの老女がつぶやいた。
彼女は被爆者。
18歳のときに見た光景が忘れられない。

 昭和20年8月6日。
そのとき、ヒロシマで何が起こり、どんな光景が見えたのか。

 いろんな文章や絵画は残されてきた。
しかし、それは我々の想像力の範囲を超えない。
結局のところ、体験した者しかわからない。

 いま、被爆者は確実に減り続けている。
その光景を記憶の中にしまったまま、次々と死んでいる。
そして、いつか被爆者がひとりもいない世の中が、来る。

 そのまえに。
そうならないうちに。

 彼らがいったい何を見たのか。
どんな地獄が繰り広げられたのか。

 映像として再現し、残しておかなければならないのではないか。
それがいかにむごたらしいもの、見るに耐えられないものであっても。

 いまの技術ならば、それはできる。

 残された時間は、あと10年。

 

新テナント。 2001年
8月5日(日)

 先日、エレベーターのなかでのおじさんたちの会話。

「ついに、このビルにもアレができるんだってねぇ。
 アレができたら、便利になるねぇ。
 えっと、そう、あれあれ、オートバックス!!」

 …それはコーヒー屋ではない。(^◇^;)
                                (実話)


「20世紀の予言」 2001年
8月4日(土)

 去年の暮れ、新聞や雑誌などでさんざん取り上げられた
100年前の報知新聞の「20世紀の予言」。

 ごく一部を取り上げては、当たっただのはずれただの
言うだけだったので、実際の全文がどんなものだったのか
非常に欲求不満がたまりました。(^◇^;)

 私自身、すごく昔に読んだ記憶はあったけれども、
すっかり忘れてしまっていたので、あらためて探してみました。

 以下がその全文。
興味があったら読んでみましょう。


ストイコビッチ! 2001年
8月4日(土)

 きのう、新聞の全面広告にストイコビッチの写真が載ってた。
ハウス食品のカレーの広告なんだけど、下のほうに
ストイコビッチ自身の話をもとにしたコラム的な文章があった。

『サッカーの試合前夜に僕がすることは二つ。
 まずは滞在ホテルでカレーを食べる。
 食堂にはグランパス特製メニューが並ぶが、僕は迷わずカレー。
 来日して初めてカレーを食べてから、試合準備食はカレーになった。
 世界一うまい日本の米に辛口ビーフカレー。   (以下略) 』

 …インディカ米信仰の味覚音痴どもに読ませてやりたい。(^◇^;)


言いえて妙? 2001年
7月28日(土)

  このHPを職場の人間にメールで教えてあげた。
すると、「びっくり!」という題名で返事が来た。
 
『このHPはよく見ていたのですが、まさか○○さんのHPとは・・・。
 「水戸黄門」で、最後に黄門さまの身分を知る、
  町の人々の気持ちです・・・。』

 …おいおい。(^◇^;)


ステレオタイプ。 2001年
7月27日(金)
  広島に来て3年。
最初から気になってたことがあった。
  それは、女の子とちょっと親しくなると、
「実は、両親は広島の人間じゃないんですよ」。
そう、決まって言うこと。
 
  それが、被爆二世の置かれた状況の
裏返しなんだと、しばらくたってから気づいた。
 
  この夏、被爆二世に会った。
芸術家として活動する5人。
  ヴァイオリニスト、写真家、歌手、
現代美術作家、そして指揮者。
 
  それぞれに明るく、たくましく、
精一杯生きる姿に、強い共感を覚えた。
「普通じゃん。頑張ってるじゃん。」

 そう。
なんてことはない、普通の人々だったことに
いちばんの共感を覚えた。

  被爆者だから、被爆二世だから、
こうあらねばならない---。

 そうしたイメージはマスメディアが勝手に作り上げてきたもの。
最初に結論ありきで、正面から向かい合おうとせず、
楽な方向からとらえ続けた結果が作り上げた虚像。
 
  私たちはつい、声の大きい者の声を聞いてしまう。
しかし、声なきもの、声をあえて発しないもののなかにこそ、
真の姿があるのかもしれない。
 
  そう実感した一ヶ月だった。


ナンセンス。 2001年
7月17日(月)

 ラーメンを200軒も300軒も食べ歩いて、
そのなかのほんの数店を「無化調」って騒ぎ立てる
人々って、なんかナンセンスだと思いません?

 そんなに化学調味料が嫌いなら、
ラーメン食べなきゃいいのに…。(^◇^;)

 あらゆる料理のなかで、ラーメンほど
化学調味料の使用量が多い料理は少ないってこと、
誰だって知ってるでしょうに。ヽ( ´ー`)ノふっ。


限られた時間。 2001年
7月12日(木)

いったい、あと何回食べることができるだろう…。
限られた時間のなかで、できるだけおいしいものを食べたい。
そんなことを考えるようになったのは、歳のせい?それとも…。


値下げの効果・その後。 2001年
7月12日(木)

 ほ〜ら言わんこっちゃない。
結局、値下げに追い込まれたでしょ?
吉野家の牛丼。(^〜^;)ムゥ
                            参照:4月9日


『市内料理人』のコラム、掲載へ。 2001年
6月18日(月)
 「あの、コラムを書いていただけませんか?」
そう、『市内料理人』さんにお願いしたところ、
意外にも快諾していただけました。
ただし、条件は「締め切りを設けないこと」。(^◇^;)

 ですから、そのうちプロの料理人の立場からの辛口コラムが、
このHPで読めるようになると思います。
みなさん、楽しみにしておいてくださいね。(‘―‘)/~~~~


とうかさん。 2001年
6月18日(月)

「とうかさん」でのクジが違法だったなんて…。(^◇^;)

そりゃあ、私も富くじが刑法で禁止されているのは
知ってましたが、
まさかあんなに堂々とやっているものが違法だなんて
思いもよらなかった…。(^〜^;)ムゥ

しかし、その違法なクジを40年間も放っておいた
広島県警っていったい…。(^◇^;)

むしろ、そのほうがよっぽど大ニュースだと
思うんですけど…。ヽ( ´ー`)ノふっ


『本場』信仰。 2001年
6月17日(日)

 安佐南区に坦坦麺のうまい店があって、たまに行っていました。
ゴマの香りが高く、辣油(ラー油)の辛さとゴマの甘味がマッチした
なかなかの味のものでした。
 きのう、東広島からの仕事帰りにその店を思い出し、久しぶりに
立ち寄りました。この店の坦々麺も紹介できるのではないかと。

 そして出てきた坦坦麺は、以前とまったく違うものでした。
ゴマの香りがまったくしない真っ赤なスープに沈んだ麺。
それはもう、坦坦麺と呼べない、得体の知れないエスニック麺と
化していました。

 「きさく」の、中国の人から教わった坦坦麺に影響されたのでしょうか。
誰かが「本場・四川の坦々麺は…」と吹き込んだのでしょうか?
 たしかに、本場の坦坦麺にはゴマを油でのばしたペースト・
芝麻醤(チーマージャン)を使わないといいます。しかし、だからと
いって何でも本場風にすればいいというものではないはず。

 カレーが日本の米に合わせて独自の発展を遂げたように、
中華そばが日本でラーメンとして花開いたように、外国料理は
常に日本人に合うように改良され、新たな道を切り開いてきました。
 それなのに、なぜそう簡単にそれまでの道を捨ててしまうのか。
日本には日本の立派な坦坦麺文化があっていいはずなのに。

 「無化調」と書かれた紙があたりかまわずベタベタと貼られ、
異様な雰囲気になってしまったこの店を後にしながら、
「本場」を目指すことについて、その功罪をふと考えてしまいました。

(ちなみに、日本人に合わせて坦坦麺を改良したのは陳建民氏)


井上陽水。 2001年
6月11日(月)
生の声を聴くのはサントリーホールでの
「クラムチャウダー」以来だったけど、
やっぱり彼は天才としか言いようがなかった…。(^◇^;)

天使と悪魔。限りないロマンチストと徹底したニヒリスト。
相反する二つの顔を持つ陽水の、
圧倒的な力を見せつけられました。
肺活量の低下による高音域の衰えは確かに感じるものの、
それを補って余りある歌唱力と豊潤な声の質は依然、健在。

私はただ、丸めたパンフレットを握りしめ、インクが汗でにじむまで
ただその声の持つ力に打ちのめされていました。

「市内料理人」と会う。 2001年
5月15日(火)

 先日、ある店で「市内料理人」と会いました。
「市内料理人」とは、よその広島グルメ系掲示板で
「店をランク付けするなんて、勘違いと言わざるを得ない」と、
料理人の側から痛烈なグルメサイト批判を書き込み、
物議(?)をかもした人物。

 でも実際に会ってみると、温厚で無邪気ないいひとでした。
このとき、「市内料理人」さんはこの店の客として来ていたの
ですが、おいしいものをおいしい!と素直に喜び、
「いやぁ、この料理に日本酒が合うとは思わなかったなぁ。」と
感心する姿には、いつまでも謙虚に学ぶ姿勢があふれていました。

 よく、文章を書かせるとすごくキツくなってしまうひとがいますが、
彼もまたそうだったのかもしれません。
とにかく、彼は話のわかる人でしたし、いい関係が築けそうです。

 そのうち、このHPのなかで料理人の立場からのコラムなんかを
書いていただけるようになるといいかもしれませんね。
ただ、そのときは柔らかい文章で…。(^◇^;)

 なお、批判を書き込まれた掲示板の主催者のかたにも
「会ってみませんか」とお誘いをかけたのですが、
「現状においては、市内料理人様に語るべき言葉がありません。」
との理由で断られてしまいました。
 いや、あなたが語るんじゃなくて、批評する立場として一度、
批評される側の料理人の意見を真摯に受け止めてみては、と
いう意味でお誘いしたのですが…。(^〜^;)ムゥ